ヨブはいたずらに神を恐れましょうか

先週は波乱な一週間でした。18日(月)は大雪で通勤するにも困難だった日に、残念なお知らせも重なりました。今のお仕事がすぐ決まってようやく落ち着いたと思ったら、次の契約更新はないと宣告されました。年明け4日(月)からスタートして前任者より業務引継ぎを受けてわずか3週間目の事です。前回の職場でも二週間ほどで就業先側より契約中途解除され、今回の職場も初回2か月契約で終了となってしまい、二度も立て続けでショックを受けています。本当に世の中は安心して働きにくい時代となっていますよね。先日もブログで書きました通り、多くの企業が求めるものは即戦力でありつつ、いざ何かあった場合は即使い捨てです。アラフォーで不安定な身分の私にはこれからも病気のダンナを支えていかなければなりません。過去2~3年前も何度も失業と再就職を繰り返してきました。しかし、神様より支えられ、助けられ、守られ、今まで何とかいかされてきました。

同じ一軒家で住む、ダンナの両親(二人ともクリスチャン)からも励まされ、互いに家計など協力し合ってきていますし、義母から「神様から愛されているほど沢山の試練がある」「神様を真剣に求めるものは(聖霊が働ければ働くほど)、多くの試練もある」「試練があるほど本物の信仰となる」「試練はみ恵み」など沢山聞かされ、いくつか主のみ言葉を頂いたりしています。その中で、ダンナの両親が長年読み続けている古いC.Hスポルジョンの聖書一日一章(現在は廃盤)の一部のコピーをもらい、ブログに載せました。とても厳しいメッセージですが、私のとっても魂に目覚めるものを感じます。

ヨブはいたずらに神を恐れましょうか。(ヨブ1:9)

このことばは、昔義人ヨブについてサタンが発した悪意ある質問であった。しかし、今の世の中では、まさしくこの質問に該当する多くの人がいる。彼らは神が繁栄を与えられるので、神を愛するのである。彼らは逆境に陥るならば、誇っていた信仰を打ち捨てる。もし彼らの回心の時からすべてがうまく運ぶならば、肉的な、あわれな方法で神を愛するであろう。しかし、一度患難に会えば、彼ら主に反抗する。彼らの愛は、食卓を愛する愛であり、客をもてなす主人に対する愛ではない。配膳の棚に対する愛であって、主人に対するものではない。
 しかし、真のクリスチャンは、この世では苦難に耐えて、来るべき世での報いを期待する。旧約の約束は繁栄であったが、新約の約束は苦難である。キリストの次のみことばを覚えよ。「わたしの枝で実を結ばないものはみな、父がそれを取り除き、実を結ぶものはみな、もっと多く実を結ぶために、刈り込みをなさいます」(ヨハネ15:2)あなたが実を結ぶことを願うならば、苦難に耐えなければならない。あなたは「ああ、たまらない」と言う。しかし、この患難こそ尊い愛をもたらす。患難を受けるクリスチャンは、患難に会って喜びことを学ばなけらばならない。患難の多い時には、キリスト・イエスによる慰めも豊かだからである(第二コリ1:5)
 神の子どもであるならば、あなたにとってむちは避けられないことを覚えて、心を安じなさい(ヘブ12:5-7)。すべての金の棒は、いつかは火の中を通らなければならない。恐れてはならない。むしろ、そのような実りの時があなたのために備えられていることを喜べ。その時あなたは、地上を離れて天国に入るにかなう者とされたからである。あなたは現在に対する執着から救われ、やがて示される永遠のものを熱望する者とされるであろう。現在、利得を離れて神に仕えていると感じるなら、来る世の無限の報酬を喜ぶことになろう。

1月23日夕(夕のデボーション用)

今日も見て下さりありがとうございす。
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