日常のおける証

人間はいくら良い行いをしても、信仰(真理の愛)がなければ罪に逃れないものだと私はそう感じます。確かに、ノンクリスチャンでもとても謙虚で親切な人や誠実で勤勉な人など沢山います。逆に、クリスチャンでも冷たい人だったり、プライドが高くて傲慢な人など沢山います。神様はいずれも私達をとても愛して下さっていることを信じています。

でも、人間には愛があるのでしょうか…?

例えば、クリスチャンは酷い人が多いと世間の人達から言わることも少なくありません。また、クリスチャンの周りで試練が続くと、ノンクリスチャンから見れば「あなたの拝んでいる神様は何なの?」と言われることもあります。だから、教会は面倒でつまらない所、(信仰が無くても)今の生活(もしくは裕福)は問題ない、(信仰が無くても)困っている人を助けることが出来る(普通のボランディア・チャリティー等)、(信仰が無くても)世間のルールやマナーを守れば良い、信仰より食べていくには仕事することが当たり前など…。これら、どう思いますか?

私は、どちらも残念でなりません。とくに、世間の人に悪く思われているクリスチャンとは、その人自身の生まれ持った性質もありますが、重要なのは信仰の度合いや聖書の学び方に問題があると思います。まず、信仰が弱いと世間の誘惑に負け、善悪の区別もなく世間の常識に合わせてしまいます。(神様を見上げないで)あるクリスチャン自身が傲慢で自分の地位を求めてしまい、他のクリスチャンもノンクリスチャンも問わずに相手を見下す人もいます。次に、誤った聖書の解釈です。聖書の御言葉を乱用して人をおどしたり、見下したりすることも人をつまずかせる原因の一つだと思います。他にも沢山人をつまずかせる原因はいくつかありますが、結論としてはすべての人間は生まれながらにして罪人なのです。すべての人間は表では良い人をしても裏では何を考えているかわからないし、口先だけだし、平気で人を裏切るし、噂や陰口が好きだし、人を憎むし、人の気持ちを理解することはなかなか難しいし…もう数え切れません。だから、人間にはいくら良い行いをしても、真理の愛がありません。つまり、良いことと優しさの違いのようなものです。

私も罪人の一人です。信仰生活まだ1年余りですが、なかなか自分自身でうまく証が出来ずに悩んでいるので、毎日神様にお祈りしています。特に、伝道不可能な職場…。職場は仕事をして収入を得る生活手段の為であり、社会やマナーの訓練場でもあります。伝道が出来ない代わりに、職場のロッカーや化粧室、自宅などで会社や労働者の為に祈ることが出来ます。また、クリスチャンであることを証することです。それは、自分自身の無駄な感情を抑えて低くすること、目上の人達に敬意を持ちながら従うこと、与えられた仕事を忠実に行うことが基本です。ただ、社内ではそれぞれおかれている立場で細かい問題もありますし、部署のチームワークや他部署への伝達がうまくいかないことがしばしばあります。これも、神様に祈って知恵や解決方法を示すように助けを求めます。

でも、私はまだ信仰生活が始まったばかりに、まだ欠点やコンプレックスが残って時々落ち込みます。それは、仕事での細かいミスや顧客対応のマナーです。私の場合は20代前半まではサービス業であり、後半以降は派遣スタッフとしてデスクワークへ転身しました。顧客に対する心遣いはどの職種も同じですが、違うのは見える接客と見えない接客です。見える接客より、見えない接客の方が難しく感じます。特に、電話応対やメール応対、文書マナーなのです。これは、日本語能力と人とのお話や内容を理解することが重要だと感じます。私の場合は、恥ずかしながら(^^;)…少し欠けています。時々、言葉や文書がおかしいことが沢山あります。(私の夫も最初の頃は、あまりにも酷いと言われました。)理由については別の話になるので控えますが、簡単にいえば幼少期~独身にかけての試練からくるACによるものです。私は夫を通して訓練と努力をしてからようやく困らない程度になり、各前歴のデスクワークでも何とかスムーズに出来ました。

でも、今のパート先にいちいちそんな話をする必要は全くありませんが(て、ゆうかおかしい…)、天から眺めている神様は私達一人一人を一番御存じで心配して下さっている感じがします。神様の愛は、今働いている職場においてもいつも表しています。私が業務上でしばしばミスすると、その場にいる社員の方からこっそりとメールで伝えて、適切なアドバイスを頂きます。普通、立派な社会人に親切に教えてくれる社員さんは非常に少ないと思います。社員や派遣、パートを問わずにあまりミスが多いと周囲は冷たくなるでしょうし、最悪な時は首になることもあり得ます。ですから、神様は私達にどんな些細で嫌なことがあっても助けて下さいます。これも、愛のある神様からの御恵みだと思います。

でも、今の私を変えたいのです!今までのようにうわべだけ厚化粧ばかりして、中身のない女性のままではいたくありません。絶対焦りは禁物であることは承知の上ですが、私の欠点である怒りや苛立ち、プライド、誤った態度、内弁慶、不注意から一転して、気長で謙遜、謙虚、自分を低くする、柔和、正しく意見や議論が出来ること、また落ち着いて人の話を聞けること、思慮深さに変えたいのです。夫婦関係や教会、職場、近所(隣人)などいつ、どこに行っても恥じるこもなく、主の栄光の模範をこれから示していきたいと望んでいます。

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