前回の投稿しました大泉学園(練馬区)をぶらり散歩の続編となります。前回の記事は西武池袋線大泉学園駅の駅周辺(各商業施設や商店会)についてでしたが、その後は駅南口から徒歩5分の練馬区立牧野記念庭園記念館へ訪れてみました。牧野記念庭園は入園無料ですが、受付で訪問台帳に氏名と簡単な住所を記入してからの見物です。
練馬区立牧野記念庭園記念館
牧野記念庭園は文化庁登録記念物(遺跡および名勝地)となっています。昔、江戸の幕末から昭和の初期まで94年間の生涯を得た牧野富太郎博士による憩いの庭園です。
牧野富太郎氏とは?
牧野富太郎氏とはどんな方だったのでしょうか?以下の通りです。
1862(文久2)年4月24日に高知の佐川村に生まれる。生涯に発見・命名した植物は1500種類以上、採集した植物は約40万点、研究のために収集した書籍は約4万5千冊にのぼる。1926(大正15)年に渋谷から北豊島群大泉村(現練馬区牧野記念庭園の所在地)に移り住み、1957(昭和32)年に満94歳まで没するまでの約30年をこの地で過ごした。
牧野記念庭園のパンフレットより引用
牧野記念庭園の行き方
庭園・資料館を見物する
日本の植物分類学の父と言われる牧野博士は、生まれながらに草木が好きだったそうです。そのため、生涯を掛けて植物の研究に打ち込んできました。

牧野記念庭園となったエピソードです。牧野博士が逝去された後、わずか三か月足らず、東京都は博士の住居跡を『牧野記念庭園』として保存するこを表明しました。これは博士のお人柄からだったということにとても関心を示しました。

90歳頃となった牧野博士は大泉の自宅で過ごす時間が増えました。私個人はこの資料が一番印象に残ります。愛する奥様(寿衛(すえ)さん)は既に55歳の若さで先立たれましたが、娘さんご夫婦やお孫さん、曾孫さんたちに温かく支えられている背景を強く感じるものがありました。
あとがき・感想
植物を愛する牧野博士の生涯について、深く学ぶものが沢山あります。博士が研究を熱心に続けられたのは家族に支えられたからです。現代は家族に支えられている一家は中々少ないのではないかと思います。家族に支えられている父親とは、やはり人柄やきちんとした心構えを持った人ではないでしょうか?私の経験上、良い父親はあまり見たことがありません。しかし、大胆に言えば家族のコミュニケーションや信頼関係はとても重要だと感じました。
大泉学園へ初めて用事がある方、散歩をする方、牧野記念庭園にご興味がある方は是非寄ってみて欲しい心の落ち着くフリースポットです。
ブログを見て下さりありがとうございました。
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