今日からやっとゴールデンウイーク!普段、一日の大半を拘束時間の長い職場から少しの期間だけホッとする5連休。この間、とても印象に残ることがありました。
先月中旬、職場では年に数回の社内研修が行われました。この研修は人数制限のため、同じ研修を2度行ないます。各部署の人数分けは上司が決めるのですが、毎回誰と一緒に受講するのか分かりません。今回、同性の私にしてみれば思わしくない女子の群れとの受講でした。主の御前でこんな事を思うのは罪であることを承知!ですが、女子の群れといっても一人だけ独占力の強い人がいまして(その彼女以外はみな優しい人たちです。)、良く言えば世渡り上手、悪ければしたたかなタイプです。ちなみに彼女は私と相方と同部署で仕事をしています。普段、その彼女に笑顔で挨拶する程度ですが、用がない限りあまり会話をしません。私の相方も同じで、その彼女と一緒に会話することはないです。多分、生理的な相性もあるかと思います。私自身もクリスチャンであることは噂で知っていること、もともと生まれ持った性質から内向的であることも考えられます。
そのため、私はその女子の群れから距離をおき、向こうも私に対して知らぬふり状態でした。もちろん会場の席取りも私は省かれているので、私だけは彼女たちから離れた座席で腰を下ろしました。向こうは賑やか、でもこっちはポツンと静かで一見寂しいようですが、私自身の中にはあの孤独と十字架の御苦しみを受けられた主イエス様をふと思い浮かべました。心の中で「私は一人じゃない!」と。だから私は人を恐れず堂々とこの2時間の研修を乗り切りました。
終了後は、大勢の受講者より一足先に会場を抜けた時、空には大きな虹が見えたのです。虹といえば、旧約聖書(創世記)に登場するノアの方舟の中にある契約の虹を思い浮かべます。この素晴らしい虹を見た時「あっ!創造主の神様だ!今の辛い私の姿をずっとご覧になられて心を慰めて下さっている。」と。この主との契約の虹を通して私は心に平安を取り戻すことが出来ました。
「わたしは雲の中にわたしの虹を置く 旧約聖書『創世記』9章13節」
これから職場で嫌な事や辛い事があっても、主の契約の虹を思い出して希望を持つことです。主の最善の時がいつか必ずおとずれることを信じます。