主にあって生き方の心配は無用

20代後半から派遣で就業してきた(一部はフルパート)私も40代になろうとしています。この年代でも事務職として働かせて頂いていることは、主の御恵みと受け入れて下さっている企業様に感謝をします。ごく当たり前ですが、あくまでも派遣の契約期間の定めがあり、時が来れば契約満了となり、もしくは途中で景気悪化によって人員削減や何かの理由で契約切れもあり得ます。

DSCF6129でも、イエス・キリスト様を信じる信仰を持てば主に先行きの心配事について祈り、「あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。」(マタイ6章34節)と御言葉を思い出し、全ての不安を主に明け渡すことが出来れば心の平安となるのです。私は途中で何が起きても驚きません。何故なら、今与えられた職場の前にリーマンショックによる派遣切れや元パート先での突然解雇などの経験を乗り越え、その都度何とか生活が成り立っているからです。だから、主にあって心配無用なんです。主は必ずその時の状況に応じて生きる手段を十分備えて下さいます。

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