人は何かしら願い事もあるし、いざ何かに追い詰められると神頼みするようになる。
世間流行の占いや風水をやったり、神社仏閣やパワースポットに出かけたりする。
でも、それは単なる気休めであり、たとえ願いが叶ったからといっても根本は救われるはずがない。
私もクリスチャンになる前かつては占いや風水に浪費し、実家にある仏壇にお香を炊いてしっかりご先祖様に祈ったり、助けを求めていた。
さらに、書物では自己改革や心理ベストセラー、心霊、オカルト系、スピチュアル系ばかり読んでいた。
しかし、これは全くなんの解決になれず、もっと事態が悪化するばかりであった。
つまり、サタンが大きく働いていたのだ。
3年前晩秋まで、まだ夫婦二人で生活していた時はお互い価値観の食い違いで大喧嘩ばかり、お互いに人格否定が続いたり・・・もうこのままでは離婚の危機に・・・。
すでに二十歳で洗礼受けていた夫は完全に信仰から離れているままであるが、ある日、ノンクリスチャンの私は回心し始めた。
最初は夫にこっそりと聖書解説書を読んで聖書の中身の意味を学んだ。
次に、現在通う教会の近くに住む義理両親と一緒に暮らすことを決断。
義理両親と同居後、日曜礼拝と勉強会に参加して半年後洗礼、さらに半年過ぎに堅信礼を受けた。
受洗後は、いろいろとあったけど、朝晩のデボーション(祈り)を続けることによって願い事が叶うことができた。
願いは、はじめは自分のことだったけど、夫や身内、他人のために祈れるようになった。
そう、洗礼を受けたら後から少しずつ聖霊が働くのである。
つい今日、入院中の義理の従弟が何と病床洗礼を受けたとGoodNewsを聞いた瞬間うれしかった。
頑固だった従弟が救われて本当に良かった。
義理姉も重い病気の時に病床洗礼を受けたらみるみる病状が回復したそうなので、洗礼の後の祈りはとても聞かれやすくなるのだ。
主よ、洗礼によって従弟もこれから心身癒されますように・・・。アーメン