救いの難しさ

今日は義理両親と3人で日曜礼拝に出席しました。この日、信徒にとっては嬉しいニュースがありました。昨夜の土曜礼拝と今日の日曜礼拝を合わせて合計4人の方が洗礼を受けたのです。その前の3月には義理の従弟も病床洗礼を受けましたので、今年は洗礼者が多くて驚きです。

しかし、逆に二名の教会員の方が残念ながら除籍してしまいました。このお二人はご夫妻なのですが、おととしの春に30代くらいの娘さんが肺がんで天に召されました。その娘さんは元々未信者であったのですが、何とかギリギリセーフで病床洗礼を受けた数日後に病状急変してしまい、息を引き取ったのです。一人娘を天に取られてしまった悲しみは実のご両親にとっては非常に辛い悲しいものです。しかも、お二人は神様を恨んでしまい、教会から去ってしまったのです。

クリスチャン同士で誰かが天に召された場合、悲しんで良いのは1ヶ月間までらしいです。義母は「神様は、一ヶ月間は大いに悲しみなさいとおっしゃっていますが、それ以降は、(昇天した人が)無事に神様の下にいかれたことを大いに祝福しなければなりません。」と前にお話を聞いていました。それは、失ってしまった人のことを長く悲しみ続けたりすると、一番大切な神様を忘れてしまうからです。ただし、クリスチャンの中で家族や親族で未信者で救われない(洗礼を逃した)まま息を引き取った場合はずっと悔いに残りながらもっと長い期間に悲しみ続けることでしょう。こればかりは、私達人間はどうすることも出来ません。この取り返しのつかない問題は全ては神様の御手にお任せをする他はないと思います。しかし、これだけはしっかり覚えておかないといけないのは、神様より人と物を選ぶことは偶像崇拝になってしまうのです。真の神様を求める信仰とは本当に厳しいものです。

ところで、私の実家の両親には私自身が洗礼を受けたことはまだ告白していません。二人は檀家まではいきませんが、バリバリ仏教徒の未信者です。この前5月3日のGWに都内下町の実家へ帰りましたが、帰ってくるとなると母は「仏様にお線香をあげて拝みなさい。」と言われてドキッとしました。私は何とか聞き流しながら絶対に仏壇に拝みませんでした。心の中で”主よ、私は絶対に偶像を拝みたくありません!偶像を憎みます!どうぞお助けください。悪魔の偶像からお守りください。”と必死に祈り出して何とか危機を逃れました。特に母は信仰熱心なので、年に二度の彼岸お墓参りや毎年のお盆などしっかり守り続けています。さらに、この世で大ブームの風水にもハマリまくっているのです。私は、たまには両親には会いたい反面、実家に帰りたくないのはこれらの理由もあるのです。もちろん、実家側のお盆に田舎へ行くことも今はなるべくずっと避けています。田舎へ行けば必ず各親族の家での仏壇拝みやお墓参りなど待っています。日本にいるわずかのクリスチャンもそういった風習や行事などで苦労されていると思います。こんな面倒なことが多い日本は時々私自身も嫌になることがしばしばです。

私の両親は、クリスチャンの夫との結婚は賛成していませんでした。しかし、神様は全ての奇跡を起こされたことによって、私自身は無事にクリスチャンファミリー(神様の家)へ嫁ぐことが出来たのです。今でも凄いと何度も思いだして実感しています。その後、父は「もう(ここまできてしまったら)宗教何か関係ねぇ。」と言っていますが、母は「キリスト教は外国の宗教だし、あちらのご両親は(夫側)元々仏教徒だったんでしょ?途中からキリスト教になったんでしょ?」と言う答えになっています。でも、両親はこの結婚を許してくれたけど、決して真の神様を信じようとはしません。所詮、キリスト教の聖書や賛美歌などが嫌いな両親ですから・・・。

しかし、この世の空しい生活を送り続けている両親を一体どのように伝道すれば良いか全く無理な状況です。いきなり会って導こうだなんて、両親は絶対に聞く耳は持たないタイプです。特に気性荒い父は暴力を振るうかもしれない身の危険があるのです。とにかく、無力な人間の一人である私は、いつか時がくるまで毎日神様に祈り続けています。「神様、どうぞ、私の両親が心が開き、正しい信仰へお導き下さいますように・・・。」今は、本当にすべてにおいて絶えずに祈り続けることが精一杯であります。

取りあえず、両親にちょこっと会えたことだし、共に元気で安心しました。しかし、今は、とても環境の良いクリスチャンファミリー(神様の家)一軒家に住み慣れてしまったので、東京下町の古く住み続けている賃貸ボロマンションのゴチャゴチャ物の多い2DK部屋の実家は相変わらず居心地が悪いです。私は30代近く独身までよく絶えて暮らしてきたなぁと思います。今までいろんなことがありなら辛い生活を送り続けた私を神様はずっとご覧になられ、最後には悪い実家から引き離して下さり、夫を通して正しい信仰を与えて下さったことに感謝します。

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