この世の戦い

今朝、自転車通勤の途中のことです。私はいつも東所沢へ行く時には避けられない坂道を上り通らなければなりません。坂道の手前にはお地蔵があるのですが、そこで一生懸命拝んでいるお爺さんがいました。(人間の作った像を熱心に拝んでもご利益も何もありません。)私の住む周辺にはお地蔵が祀っている場所が結構あります。お地蔵や氏神等などある自治会では、一軒ずつ住民が強制的に当番で祀られている周りを清掃したり、お水やお花を供えたりする作業があるらしいですが、幸いに私の住む自治会では何にもありません。(本当によかった!)地方や郊外で風習が残る地域はクリスチャンにとってはきびしい環境です。ノンクリスチャンでも多くは面倒な風習や自治会を嫌がる人は多いと思います。

それはおきまして、いつも通る狭くてくねった急な坂道を上りながら自転車をひいて進もうとした先には朝から車が渋滞していました。(何でこんな閑静な住宅街に・・・)原因はいつもしょっちゅうに起こることですが、必ず車一台は運転下手なドライバーが頂上のくねった坂道で一歩前へ進まなくなっていました。何度もバックしてもうひと踏ん張りしても駄目に状態でした。後ろでずっと待ち並んでいる他の車や人間と逆に下る自動車に囲まれていましたので、これのために待ち続けると、どんどん通勤時間が5分から10分遅くなりそうだと感じて、私は別の坂道ルートへ行きました。別ルートへ行く途中でお葬式を行っている一軒のお宅がありました。日本の葬儀はほとんど仏教であげていますが、聖書では偶像礼拝を禁止されています。ただお一人の神様以外に他の神々や仏に拝むことはいけません。しかし、日本のクリスチャンの多くはいつか必ず身内や誰かの仏教葬儀に参加せざるおえない非常事態もありです。(°Ο°;)将来どうしよう~!だから、日頃の強い信仰と神様からの守りが大事だとこの瞬間ふと感じました。

日本という国は年中、避けることが難しい日本の伝統と風習に巻き込まれているわけですがから当然見えない日常の迫害が多いですね。例えばこれから年末年始にかけては大安仏滅付きのカレンダーや手帳、来年の占いについて載っている各雑誌、TV番組(占い・神社・仏閣等・厄除け大師のCM…)、干支付きの年賀はがき、門松、しめ飾り、おせちりょうり、鏡餅…もうきりがありません。とにかく日本の風習の中でも出来る限りは避けられるものはなるべく避けるようすることもこの世との戦いの一つといえます。

さて最後にクリスチャンのお正月についてですが、我が家の場合はご覧の通りです。↓

  • 元旦は初詣に行かずに、教会で元旦礼拝に行きます。(神社・仏閣は自由に行ってもOKですが、参拝はしません。おみくじを引いたりしません。お守りは買いません。)
  • お正月の飾り(鏡餅・門松・しめ飾り等)の代わりに、クリスマス飾りのままにする。(教会でもクリスマスツリーが飾られています。)
  • キリスト教の場合はクリスマスカードですが、我が家もクリスマスカードも送れば年賀状も送ります。ただし、年賀状は干支や獅子舞などないものが条件です。お花や風景、写真等にしています。
  • 鏡餅はかざらないけど、普通にお雑煮など食べています。

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