主と同じ姿へめざす道のり

人間の体は何故もろくて壊れやすいのか…?聖書と礼拝を通してだんだん意味が理解出来ました。いつか、私の夫が単純にこのようなことを言っていました。

人間は空を飛ぶことも出来ないし、足も他の動物のように走るスピードもない、水中も(酸素ボンベ無しで)長時間もいられない。人間は野獣に勝てないし、人間とあるゆる生き物は口で飲み食いしたらいちいち下から排出しなければならない、他の動物は短命なのに人間は寿命最高120年以内で年を取れば取るほど体はだんだん死に向かって衰える、病気をしながら長くは生きたくない…。

らに私自身が付け加えるなら女性の美しさはつかの間・・・若いころ美男美女でもいつか年を取れば普通のどこの老人と一緒、女性には月経と更年期障害がつきもの・・・。

確かに全ての人間の体は不完全であり、いずれちり(土にかえってしまう)になってしまいます。では、神様は何故不完全な私達人間の体をおつくりになられたのでしょうか?

聖書の最初である創世記では神様の御姿に似せて土で男(アダム)をつくり、彼のお仕事を地を耕したり生き物を支配する管理者にさせました。しかし、神様は一人では良くないと思われて助けでをつくられました。男のあばらで女(エバ)をつくり、男女二人は平和で完全な世界エデンの園で仲良く幸せに暮らしてしました。ここで私自身この背景をイメージしてみると、この頃の地球上は水も空気、自然も完璧であり、木になっている食用の実も困まることがないほど種類豊富だったと思います。今の世で思うと、地球上に人口が増えすぎてだんだん食料も保てず、これからは食べたい物がどんどん減っていっていますが、もしかしたらエデンでは消滅してまった幻の食物もかなりあったかもしれませんね。エデンの園で生き物を管理する仕事ですが、この頃の野獣はきっと人を襲うことはまだ全くなかっとことでしょう。しかし、楽園での幸せな生活は続くことができませんでした。

ある時、女のエバは先にサタンに惑わされて二人とも神様からの一つの御約束(善悪の果実だけは食べてはならないこと)に背いてしまいました。神様は大変御怒りになり、二人は主なる神様との直接的な親しい交わりを失い、永遠の生命を失い、自然との完全の調和も失ってしまいました。エデンが追放されてしまった男女二人は今後生まれてくる全ての子孫まで罪を受け継ぐことになってしまいました。これが原罪といって、つまり、神様から突き放されてしまったかわりに全ての人間はサタンの子なのです。人間の悪い感情や誘惑、暴力、争い、噂話、裏切り、母親のお産の苦しみ、家庭問題、離婚問題、経済危機、食糧危機、通勤ラッシュ、労働、老化現象、病気、死は全て罪による呪いなんです。

しかし、神様は私達にそれぞれどんな辛い試練をお与えなられても、私達人間を何よりも愛して下さっていることは間違いありません。この世は決して良くないけど、クリスチャンもノンクリスチャン問わずに労働によって与えられた衣食住が出来るのも全能なる神様からの御恵みによるものです。私達は確かに主なる神様の御姿をみることは出来ませんが、ただ、私達の心(魂)で神様にお近づきになる方法は、私達人間の罪の代価を払うために苦しい十字架につけられた御子イエス・キリストをただ信じることです。

神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。(ヨハネ3:16)

その買うを、もっとハッピーに。|ハピタス

イエス様を通さなければ神の国に近づくことができませんし、永遠の命(栄光の完全なる体)もいただけません。残念なことに、同じ兄弟姉妹でもなかなかイエス様を信じない人は少なくありません。教会の宗派の中でも一部認めていない所もあります。それは、「神様は信じているけど、イエス・キリストは信じていない」「イエス・キリストは神の子ではないが、素晴らしい偉人であった」という人が意外といることを耳にして驚きました。ハッキリいってショックです・・・。

しかし、イエス様を信じない、みあげていない兄弟姉妹は信仰では無くて知識で教会に入っただけです。人間の知識とはつまり、頭のいい人ほど純粋にイエス様を信じることが出来ないと思われます。そこに弱い信仰のすきにサタンが働いてしまうのです。私はこの兄弟姉妹のためにもいつかイエス様の御姿に気づくことが出来ますようにお祈りします。

私はイエス様を一番信じています。それは、私自身ついついおこしてしまいがちな罪(夫に対してひどい態度・粗い言葉づかい・誤った行動など)を毎日イエス様を通して悔い改め、私自身主の御心に叶った良い妻として良い女性へめざして時間はかかるけど絶対にあきらめずに祈っています。本当の信仰とは忍耐であり、まず自分自身を捨てなければなりません。また、自分自身を打つ砕かなければなりません。きびしい~((+_+;))悔い改めること(もしくは憎い人を赦すこと)はどんなに大変か、祈りも意外と重労働だと先輩クリスチャンでもある義母はいつも話しています。本当にその通りなんです(^^;)でも、正しく聖書を学ぶ事が出来れば、聖霊様は働きかけてイエス様を信じ、自分で悔い改めることが出来るのは事実です。例えば、私の実の父親が過去にどんなに酷くても決して恨まなくなりました。恨むより、かえってイエス様の信仰によって救われるようにと毎日お祈りしています。私の知っているクリスチャンの中には、私と同じ境遇の人が数人いますが、彼女達も時間はかなりかかったものの聖書をしっかり学んだことによって父親を恨まなくなり、赦すようになったそうです。

イエス様こそ雄一の救い主です。たとえ罪によるさまざまな試練や自分が犯した数多くの罪があっても、地上のうちにイエス様を通して悔い改めて主に求めれば一度肉体が滅んでも永遠の命を保障されています。多くの人はパッとしませんが、私はだんだん有り難みを感じてきました。永遠の命は、主なるイエス様のように栄光なる肉体を与えられます。それは、生前のようにもろい肉体ではなく、新しく完璧な肉体です。老化現象もなければ、この世のようなサタンや誘惑、全ての試練もなく、男女の結婚・離婚もなく、若くて健康で聖く美しい姿に変えられんです。これって私は素晴らしいです!それまで、この世いる限りはこの世なりに聖く美しく年を取りながら、主がお与えになられた結婚生活を大事にしていきたいと思います。

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