受けるよりも与える方が幸いであるはまさに正しい

人間関係を良くする、つまり、良い人脈作りとは人々に良い種を蒔くことが大切だとこの頃強く思う。例えば、どんな人でも心から受け入れ、笑顔で挨拶したり、
気配りが出来、仲良くなれた人には自分の家に招待をしてもてなしたり、喜ぶようなプレゼントをあげたり・・・そうすることによって相手からも色々と援助してもらえるようになっているのを私は身近なところで何人か知っている。

一方、人付き合い苦手で人脈のない私は昔から仲間から援助も新しい良き情報を得たこともあまりなかった。しかし、今は今の夫と結婚を通して主イエス・キリスト様を求める信仰を頂いている。例え、自分が人脈が無かろうと主の御言葉という賢い知恵を沢山備えられている。ただし、御言葉を実践するには聖霊様が大きく働かないと意味が無い。人付き合いの苦手な根本の原因は自分の罪から来るものであることを既に知った。それまでは自我が強くて、素直と謙虚さが無いこと。人との付き合いが少ない分、自分の欲に満たすまで無駄な時間とお金を浪費してきた。このような状況はクリスチャンになりたてどころか、つい最近も信仰の成長段階でも(だいぶ以前程では無くなってきたが)悪い習慣がわずかに残る。

ここで「受けるよりも与える方が幸いである(使徒20:35)」という御言葉は私にとって衝撃を受けた。いかに愚かで罪深い自分の姿であるかと受け入れている。まだまだ半人前のクリスチャンである私はどこへ行っても人付き合いで悩み、この問題から逃げてしまうことが多い。聖書では「何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもって祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい…(ピリピ4:6
)」と、この御言葉を聞いたときは自分の心にまだ思い煩いがあることを知る。
やはり、主に日頃の自分自身の罪の告白と祈り求めることが信仰生活の中では重要と思う。神様の作品の一人である私は、神様から与えられた賜物と召しをしっかり再確認し、人々に良き種を与えること、どこへ行っても主の栄光をあらわしたいのが強い本音である。

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