日常における証その2

先月にも“日常における証”をお話しましたが、その2の続きです。日本のクリスチャン人口は1%以下となっていますが、多くの日本人は周囲に一人でもクリスチャンに出会う事は少ないかもしれません。もし、出会ったことのある人はクリスチャンはどんな印象がありますか?もちろん温かい人か冷たい人にわかれるかと思います。特に日本人牧師やクリスチャンはどちらかといえば…冷たい印象の方が多いかもしれません。私もそう感じています。

日本人は世界からみておとなしい国民だと思われていますが、悪く言えば閉鎖的で冷たい国民だと思います。通常の社会全体と同じく、教会関係でもプライドや上下関係、いじめなど存在していることは事実です。おとなしいことや無駄なことまで我慢したりする災いから、後で陰口を言ったり、突然キレるケースは日本人に8割くらいかと思います。だから日本人は陰険です。

私は洗礼と堅信式を受けてから聖霊が働き出したため、良くも悪くもいろんな姿を実際に見せられたりや先輩の兄弟姉妹達より数多い体験話を聞くことによって知りました。伝道や奉仕活動においても日本と米国の違いが明らかです。さらに、同じ国内でも地域によって活動が異なります。特に関東と関西では差があり、関西の方が伝道活動に熱心な傾向を感じます。私は以前、関西系大手企業で派遣社員として就業していた頃、同じ部署の中で洗礼を受けた役職社員の方が二人もいて驚きました。二人の方は共に兵庫出身であり、既に若い頃は地元の教会で洗礼を受けて聖書も学んだとのことでした。ですから、教会のお話についてはとても理解があり、会話も弾みました。関西の社員さんは基本的にとても穏やかで親切な方が多かったです。また、この就業先は身体的ハンディをもっている人達も正社員として普通に受け入れたり、育児休暇も積極的に取りこんでいる企業でもありました。

関西と言えばもうひとつあります。義理両親と義理姉、そして夫も実を言うと、関西の教会で洗礼を受けました。昔は義父が勤めていた大企業の転勤で兵庫に住み、近くの教会に通って積極的に活動してきた経験の持ち主です。義理両親は今でも関西の思い出を沢山お話してくれますが、やはり、関東より関西のクリスチャンの方が温かみがあって伝道活動熱心、一人一人の証を多く語り合い、お互いに信仰について励まし合うことが多かったと言っています。

いつずれの事例があるので、冷たいイメージを感じる関東のクリスチャン達(全員とは言い切れませんが・・・)はもう少し個人の信仰と愛の真理についてを見直す必要があるのではないかと思います。奉仕・伝道活動を考える前に、ただ聖書について知識を学ぶのではなく、主に仕える純粋な心と柔和な心を持つようになれば、きっと各個人の周りには聖書に興味を持つ人や求道者も自然にあらわれるのではないかと思います。また、柔和で謙遜であれば、未信者の中で困っている人や自分の居場所が無くて辛い人のお話をじっくり聞いてあげられる場を作ってあげる事が重要だと私は思うのです。私もかつては自分の安らぐ場が無かった者なので、お話じっくり聞いて頂きたい人をずっと求め続けていました。だから、そうゆう安らぐ場が欲しいと思います。

クリスチャンは信仰中心の生活を守る事は基本ですが、隣人を愛す事も大事ですよね。隣人と言えば特に私達の周りにいる近所に住む人や職場関係、友人、知人など身近な人を思い浮かべます。つまり、未信者でも気の合う人や親しい人、もしくは利害関係のお付き合いということになりますね。例えば、職場や地域にいって普通の未信者達とのプライベート(お食事や飲み会など)誘われた場合、何かの行事で協力を依頼された場合はどうするか?私だったらまず、主の御心を求めてから判断すると思います。信仰生活に対する危害やよっぽど悪い意味ではない限りは普通にOKしますね。だって、ただ断り続けることはまして良いことなのだろうか?と思う疑問、信仰の無い人達に対して冷たい態度をとるクリスチャンも中にはいますが、それはかえって信仰の証にはならないと思います。それこそ冷たいクリスチャンと思われるのがとても嫌です。未信者の中には親しい人や気の合う人も多く存在します。でも、主の御心を通してからのいい機会を拒んでばかりだと、新しい求道者にも出会えなくなるような気がします。深く関わり過ぎず、柔和で広く浅くお付き合いをすれば信仰生活の中の社会でもうまくやっていけると思います。

私は隣人をつまずかせたくありません。日本国内にもっと謙遜で心の柔和なクリスチャンが沢山いれば、未信者の人達の前で十分証も出来るし、信仰に興味を持ってくれると思うのです。しかし、生活手段のために働いている職場での伝道はとても出来ませんが、だからこそ、主の栄光の模範を示す証と祈りというすぐれた賜物を神様より下さっていることを確信して、会社や社内の人達のための救いや生活・健康をいつも願っています。

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