妻(女性)として足らないもの、欠けているものは祈り求めれば聖書からヒントが見えてくる

誰にでも長所・短所がある。私自身も妻(女性)として欠陥だらけ。愛も忍耐もなければ、素直でもない。しかし、壊れかけた土の器の中には、希望という『宝』を見つけることが出来る。聖書には多くのいいヒントが隠されている。いろいろな悩みや無いものがあれば「求めなさい。そうすれば与えられます…」とあり、主に祈り求めれば、求めるほど、必ず聖書の中から答えや必要が見つかることを語りたいと思います。

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単純、一人の妻(女性)として必要なものを求めている

聖書の中で好きな聖句の一つがあります。

求めなさい。そうすれば与えられます。たたきなさい。そうすれば開かれます。だれであれ、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。

新約聖書 マタイ6:7-8

まるで土の器のように欠陥だらけの一人の妻(女性)である私自身にとって有り難く、心の励みとなる『宝』の主イエス・キリストの御言葉です。主に祈り求めて、どのくらいの時間や年月掛かるのか?それは分かりません。しかし、絶対に諦めず忍耐をもって祈り求めるうちに、いつの間に自分で聖書の中から必要なものを見つけたり、ある時にふっと思い出すこともありますし、人を通してのメッセージからもあります。それらは、自分自身ではなくて、聖霊の働きによるものだと感じます。

結婚とは訓練の場や忍耐

ダンナのいる私にとって結婚とは、神様の御計画によって与えらた訓練の場だと思っています。それは人生の先輩でもある義母もずっと同じように語っていました。

私たちの結婚生活でもダンナと私は互いにぶつかり合ったり、意見が食い違ったり、些細なことでちょっと切れることもしばしばあります。原因はお互い様ですが、妻の私自身にも問題があると分かっています。

聖書を深く理解する以前は、何も大したことを出来ないくせして、内心はプライドが高くて素直さがない自分でした。ダンナと出会う前は、各職場の各男性から「プライドが高い」「もっと素直になれ」「自我が強い」など指摘を受けてきましたが、自分でそれを直そうとはしませんでした。また、私自身の心も閉ざしていました。当然のごとく、恋愛も友人関係も全く長続きするはずがありません。

しかし、恋愛と結婚は全くの別物であることを知りました。結婚とは忍耐であることです。その忍耐とは真理の信仰からくるものだと、ようやく気付きました。

箴言31章の後半で学ぶ『理想の妻(女性)』とは?

この頃、一人の妻として足りないものを求めるかのように、毎朝は旧約聖書の箴言31章の後半の箇所を読んでいます。私たちには子供はいませんが、この箴言に登場する理想の妻(女性)についていくつか必要に応じて学ぶことがあります。私にとって気になる箇所や感じる箇所は次の通りです。

しっかりした妻

しっかりした妻をだれが見つけることができよう。彼女の値打ちは真珠よりもはるかに尊い。

箴言31:10

しっかした妻とは、ここで考え込んでしまいます。ただ、個人的に言えることは、世間のあらゆる誘惑に流されないで、夫や家庭のために愛と忍耐をもって真っ直ぐ支えていくことではないかと。特に、家族の健康管理や経済管理、家庭環境を整えたりなどの役割を熟せること。もっとも大切なのは、妻の頭である夫に仕える(たてる)こと。これらは、すべて神様から与えられた本来の召命であると思います。

家事と仕事を熟せる妻(女性)

彼女は羊毛や亜麻を手に入れ、喜んで自分の手でそれを仕上げる。彼女は商人の舟のように、遠い所から食料を運んでくる。彼女は夜明け前に起き、家の者に食事を整え、召使いの女たちに用事を言いつける。彼女は畑をよく調べて、それを手に入れ、自分がかせいで、ぶどう畑を作り、腰に帯を強く引き締め、勇ましく腕をふるう。彼女は収入がよいのを味わい、そのともしびは夜になっても消えない。

箴言31:13-18

この箇所は古代の生活模様を表しています。また、この箇所に登場する彼女の家柄は、召使いの女性たちも雇っていたそうですから、結構な身分であったと思います。しかし、地位のある彼女は、決してのんびり優雅に生活しているわけではなく、明け方から晩まで働いたとあります。自ら羊毛と亜麻を手配し、喜んで自分の手で仕上げたとなっています。きちんと家事を熟しながら農作業を手伝い、さらに機織りで帯や着物など作って遠い場所へ売ったりしました。

一見、当時と現代の背景は全く異なりますが、ただ共通することは「家事をしながら家計を支える」部分では今でも変わらないと思います。聖書によると勤勉は大いに望まれ、怠惰は罪となっています。箴言31章27節の後半に「怠惰のパンを食べない。」とあります。この当たり箇所は私にとって胸が刺さるほど、とても厳しく感じました。

しかし、別の視点で思うと、現代に生きる主婦にとってはもちろん家事の傍ら、普通に社会へ出て働いたり、自ら起業したり、副業で収入を得る人たちも多くなっているので、結婚生活のリズムとしてはヒントを得る良い箇所でもあります。クリスチャンの妻なら、教会でのご奉仕活動や聖書を知らない人たちの伝道活動も大きな働きではないかと。

魅了のための美しさ・麗しさではなく、主を恐れること

彼女は家族の様子をよく見張り、怠惰のパンを食べたない。その子たちは立ち上がって、彼女を幸いな者と言い、夫も彼女をほめたたえて言う。「しっかりしたことをする女は多いけれど、あなたはそのすべてにまさっている。」と、麗しさはいつわり。美しさはむなしい。しかし、主を恐れる女はほめたたえられる。

箴言31:27-30

真ん中の箇所に、「麗しさはいつわり」と「美さはむなしい」と一番目にするグサッとくる部分です。結婚とは恋愛と異なり、魅了するような外見の美しさ・麗しさではなく、家庭をきちんと管理が出来るしっかりした妻が大切だと思います。

しかしながら、それの前の箇所に「しっかりしたことをする女は多いけれど、あなたはそのすべてにまさっている。」となっています。一見、妻(女性)がしっかしりすることは良いことではないかと思いますが、文の後ろに「あなたはそのすべてにまさっている。」と、なっているではありませんか。それは「主を恐れる女はほめたたえられる。」ことです。

私個人が即思ったこと、クリスチャンの妻としてなら、主を第一に、第二は夫や家族、第三は仕事、最後の第四は自分なのではないかと思います。つまり、自分が一番下であること、主を恐れるように夫に従いなさいです。それと隣人に愛と配慮かと。自分からへりくだらないと結婚生活や社会、すべてにおいても上手くいかないと思ったのです。目先の外見が云々というより、神様からの重要な召命の大切さが見えてきました。

【まとめ】遠慮なく祈り求めている

今、妻(女性)として悩んでいることを祈り求めて、思い浮かんだ聖書の箴言31章の後半にある妻のことについて、本当に厳しいと感じています。しかし、この箇所に自分に足りないものや欠けているものが沢山あることを知り、もっとさらに神様へ正直に申し上げています。壊れかけた土の器の自分が、宝である主イエス・キリストが教えて下さった御言葉「求めなさい。そうすれば与えられます…」の通り、遠慮なく祈り求めています。いつも私たちのそばに天の主がおられるのに、何にも求めなければ、何にも与えられません。祈り(信仰)とは結婚生活と同じく忍耐だと思いました。

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ブログ村 キリスト教

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