クリスチャンになってからの視点

昨日の休日前に、会社の飲み会がありました。会社の飲み会は1年ぶりです。私は元来人付き合いとコミュニケーションが苦手です。その代わり、複数勤務してきた会社の飲み会だけは積極的に参加していました。何故なら、飲み会に行けば、普段社内ではなかなか話せない人達と交わりが出来るからです。また、独身の時は出会いを強く求めていました。私はお酒も大好きで、よく二次会にも行きました。

しかし、クリスチャンになってからは会社の飲み会にだんだん興味が薄れてきました。去年の社内忘年会があったのですが初めて断りました。でも、昨日は忘年会ではなかったのですが、私と同じ部内の中途新入社員の方の歓迎会だったので心から喜んで参加しました。聖書では、けっしてお酒は禁止ではありませんが、ただ飲みすぎはいけないということです。主(神様)を忘れなければ、楽しく自由に飲み会に参加してもいいわけです。そうでなければ、かえって証も出来なくなりますからね。つまり、お酒もほどほどに飲むなら、この世的な人付き合いも楽しくほどほどに付き合おうと意識が強くなりました。さらに、クリスチャンの視点から、普段一緒に勤務している社員達は酒場ではどんな人達のか知りたかったのです。男性だらけの職場なので、女性の私が一人ポツンです。でも、明るく気軽に接しましたよ(^▽^)♪

あなたは行って、喜びをもってあなたのパンを食べ、楽しい心をもってあなたの酒を飲むがよい。神はすでに、あなたのわざをよみせられたからである。(伝道の書9:7)

私はタバコが苦手なので、タバコの吸わない人達のグループに加わることにしました。会話もマンネリではなく、すんなりスムーズに良い意味で盛り上がりました。ここまではOKです。すると、飲み会メンバーの一人が私に対して直接的に「血液型は何型なんですか?~型でしょ?」と、聞かれた時はちょっとショックでした。どこの職場にいっても必ず一人は血液型を聞く人がいるものです。そこで、私はいらっしゃる全員メンバーの前でその人に私自身がクリスチャンであることを証することが出来ました。「私はクリスチャンので血液型とか占いは全く信じていません。」と笑顔にしながらハッキリとお断りとかねてお伝えしました。すると、本人の表情がちょっと下がった様子でした。しかし、毎日の祈りと義母の祈りによって主が守ってくださり、周囲の上司や他の社員一人一人がうまくリードして下さり、何とか無事に和やかな宴会のままで通すことが出来ました。

ちなみに日本は血液型など気にするおかしな国です。私は医療(病気やケガ)で大事な輸血を除いては、人の性格や行動を勝手に血液型で判断されることは人によっては大変失礼だと思います。また、時には差別にも近いです。しかも、おとなりの韓国や中国までにも広がっています。人間はどの血液型であれ、その人の育った文化や環境によって違うのです。私の場合は教会の洗礼(水と聖霊)によって聖よく生まれ変わり、十字架にかけられたイエス様の尊い血に結ばれていますので当然血液型はあまり気にならなくなりました。血液型判断(占い)のみ限らず、日本は神道と仏教国にもかかわらず、クリスマスやバレンタイン、ハロウィンなどの普通に年間行事にしたり、お正月は神道(神社参拝)で結婚式は教会、お葬式は仏教というような秩序の乱れた状態の国です。若者も無神論者の割には占いやカルトに興味を持ったり、ニューエイジも大流行です。この秩序のない日本はこのまま近い将来の危機を感じます。

この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。(ローマ人への手紙12:2)

さて、いよいよ飲み会の閉めが来た時は、もう私は早く自宅に帰りたい気持ちが強くなりました。この世的なお付き合い(飲み会)には、サタンと誘惑が大きく働くのであまり深入りしたくありませんし、いずれにしても自宅には義理の両親と夫がいるのであまり遅くまでいられません。あと、どうしてもタバコの臭いが嫌でした(゜へ゜;)それなのに閉めの挨拶は、上司や先輩社員からのちょっとからかい半分の命令より一番年の若いおとなしい社員が社会経験のためにやらされましたが、その社員さんは緊張と混乱でどうしたらよいか考えこんでいるうちにかなり時間が掛かってしまいました。そこで助っ人として、二番目の若いしっかりした社員がきちんと閉めの挨拶をしてくれました。(´з’)フゥ~。飲み会は楽しいうちにさっさと切り上げることが一番ベストに思います。後はこれ以上、深い入りすると後で空しい結果になることは、過去の自分の経験でも明らかでした。

酒は人をあざける者とし、濃い酒は人をあばれ者とする、これに迷わされる者は無知である。(箴言20:1)

その買うを、もっとハッピーに。|ハピタス

酒にふけり、肉をたしなむ者と交わってはならない。(箴言23:20)

この世は、罪の誘惑があるから、わざわいである。罪の誘惑は必ず来る。しかし、それをきたらせる人は、わざわいである。(マタイ18:7)

昨日の歓迎会は無事に終えたとして、近々忘年会の予定もあるようなのですが、もういいかなって感じです。パートとして勤務しているのに高い会費を払うくらいなら、まだ自宅でゆっくり晩酌する方が全然落ち着きます。欲望と誘惑にあふれたこの世的なお付き合いよりも、私は教会の同じ兄弟姉妹との交わりの方がずっと楽しいです。もうじき、教会の映画鑑賞会やクリスマス礼拝を控えています。今、聖歌隊に入っているので、これからはクリスマスに向けての賛美歌練習などで忙しくなる予定です。

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