日本にいるクリスチャン人口1%といわれていますが、その中で忠実で熱心なクリスチャンの割合はどのくらいなのしょう?教会の宗派とか新興宗派とかは別の問題として置き、日本全国の教会の数は結構ありますが、実際に礼拝に出席している信徒はほんのわずかに過ぎないと思います。もしくは、礼拝に出席しても必ずしも信仰が強いとも限りません。ただ、聖書の知識だけという、いわゆるアクセサリー的なクリスチャン(名ばかりクリスチャン)の方が多いと思います。こういうクリスチャンは日本だけではなく、世界でも非常に多くいると思います。
では、私は一体何を申したいかといいますと、クリスチャンにとって行うべき基本です。もちろん、教会へ足を運んだり、教会の各奉仕活動に参加したり、クリスチャン同士の交わりはとても大切ですが、もっとも重要なのは家の中でも個人で毎日聖書を読んだり、祈ることだと思いませんか?私の知っている数人の兄弟姉妹はこういう方が多くいました。「私は神様に祈っていない。」とか「神様に祈りたくない。」「家では全然聖書を読んでいない。」「毎日デボーションしていない。」との回答が多くて驚きました。彼らの多くは何かしら大きな問題を抱えているか、個人的な悩みを抱えたままでした。それでは、何のためにクリスチャンになったのでしょうか?本来、救いを求めてクリスチャンになったわけではないのでしょうか?と思ってしまうのです。
先輩クリスチャンでもある義母から「礼拝はいつどこ(自宅や職場など)に行っても出来るのよ。」「クリスチャンは家でも毎日聖書を読むことと、祈ることが基本。とにかく、しっかり聖書通読をするによってどんどん聖霊様が働くのよ。(仮に)これから何が起きても、何故こんなことが起きたのだろう・・・?と思った時は必ず(聖霊によって)答えを示す(自分で気づく)時がある。」とよく教えてくれます。さらに「毎日聖書を読まないと、人の弱いところの隙に悪魔が大きく働くのよ。だから毎日の聖書と祈りは大事よ。」とも重要なポイントをしっかり耳にしています。義母のいうことはまさにその通りで、毎日デボーションをしていないクリスチャンは何か試練に合うと、大きく躓くことが結構あるようです。信仰から離れたり、クリスチャンのままでも神様を見上げないで人に頼ったり、ただコロコロ教会を変えたりなどが起きてしまいます。
今の私が思ったことは、いつもどこでも神様と共にいること。どんな悩みがあっても、その場で神様と一対一で向き合って祈ることです。でも、絶対に忘れてはいけないのは、私達クリスチャンは毎日何かしら罪を犯していない訳がありません。ですから、自分で犯した見える罪と見えない罪の告白とイエス様の御名によって罪の赦しをいただくことを先に付け加えることです。そうすれば神様の祝福が大きくなります。