この世の中で生きている間はいろんなことが沢山あります。また、競争の激しい現代はとても働きにくい、生きにくい時代です。だから心身ともに疲れ切っている人は数え切れないでしょう。そこで前向きに生きていくヒント、つまり心のサプリは聖書のみことばの中からあります。
神を待ち望む者
筆者たちは、ほぼ毎週日曜日午前中は近くのプロテスタント系の教会に出席しております。先日、ある米国宣教師による「神を待ち望む者」と題した素晴らしいメッセージを聞いて、心の励みとなりました。ここで、筆者がとても感じたことをお話しさせて頂きます。
詩篇25篇1-5 ダビデによる
1.主よ。私のたましいは、あなたを仰いでいます。2.わが神。私は、あなたに信頼いたします。どうか私が恥を見ないようにしてください。私の敵が私に勝ち誇らないようにしてください。3.まことに、あなたを待ち望む者はだれも恥を見ません。ゆえもなく裏切る者は恥を見ます。4.主よ。あなたの道を私に知らせ、あなたの小道を私に教えてください。5.あなたの真理のうちに私を導き、私を教えてください。あなたこそ、私の救いの神、私は、あなたを一日中待ち望んでいるのです。
新改訳聖書より引用
ダビデによる詩篇25篇1-5節の間に「主を待ち望む者」という言葉が2度登場しています。前半の3節にある「主を待ち望む者」は、最初の節から接続していることがよく分かります。試練にあっているダビデが主なる神様を仰ぎ見ていること、神様に信頼をしていること、そしてダビデの敵が勝ち誇らないように願っていることです。
ダビデだけではなく、現代に生きる私たちも仕事や人間関係、家庭などで祈りや願いがあっても神様はすぐにはお答えになられません。でも、神様はすべてのことを聞かれておりますので、いつかは(どのくらいの期間かは個人さもある)必ず御心を示す時があります。だから、主を信頼して待ち望み続けること、つまり忍耐であることを理解します。
神様を信じる信仰とは時には忍耐も必要であり、様々な試練の忍耐は心の成長につながっていくものだと筆者は確信しております。R宣教師は「主を待ち望むことは、行くべき道と御心を知る」とのことでした。
第二歴代誌20章12節 ヨシャパテ王
私たちの神よ。あなたは彼らをさばいてくださらないのですか。私たちに立ち向かって来たこのおびただしい大軍に当たる力は、私たちにはありません。私たちとしては、どうすればよいかわかりません。ただ、あなたに私たちの目を注ぐのみです。
新改訳聖書より引用
「神を待ち望む者」に関連して、R宣教師よりすすめられた聖書の箇所は第二歴代誌22章12節です。ダビデ王のずっと後の時代にヨシャパテ王が現れました。父アサ王と同じく、神様の御心に従った良い王様です。
おびただしい敵の大軍の時、ヨシャパテ王はどうすることも出来ずに、神様に自分たちは無力であることをありのまま告白して祈りました。大試練の中、自分の弱さを知り、賢い行動を取ったヨシャパテ王は神様をひたすら信頼して待ち望んだのです。その後、全てが守られ、神様より大きな祝福によってヨシャパテ王の治世は平穏が続いたのです。
ここの聖書の箇所は現代でも通じるところがあります。私たち人間は、いくら努力してもどうにもならないこと、限界があったりします。こういう時こそ神様にどうしたらよいか叫び申し上げるのです。神様はいつでも私たちを待ち望んでおられています。だから、私たちも神様を求めてじっと待ち望むことが大切だと思うのです。
追伸
実はこの記事を載せたのは、筆者自身も試練の中にあるからです。まず、重い婦人病、夫のこと、めまいの症状が続いて体力の弱い義母のこと、次の仕事探しです。これからも夫を支えたり、義母を助けたり、少しでも安定した仕事を探すにも、まず筆者自身も健康でないとどうにもならない状態です。婦人病の治療と新しいフルタイムの仕事探しの今後のスケジュールについて神様に祈る課題となっております。この時にR宣教師の「神を待ち望む者」というメッセージを与えられて大きな励みとなっております。
もし、何か進展がありましたら別の記事で書きたいと思います。
ブログを見て下りありがとうございました🌼
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