人生は舞台 人間一人ひとりが主役

人生は舞台。人間一人ひとりが主役。当然の如く舞台に穴が開いて、様々な困難にあうことが必ずある。失敗・病気・事故・災害・失業・愛する人など失うことなど。これらをどのように乗り切るかはその人の心の持ち次第と言えるでしょう。

教会は励まされるところ

クリスチャンは教会へ行って礼拝をし、牧師のメッセージを聞いたり、礼拝の後は信徒たちとの交わりを持つ大切な意味を段々理解出来るようになってきました。日曜主日礼拝の後、教会から自宅へ戻ると心がすっきりとして力が復活します。教会へ行った一週間と行かない一週間ではこんなに御恵みと祝福の違いが感じ取れます。クリスチャンにとって教会は信仰生活を励まし合う集まりです。

土の器の中の宝とは

5/15(日)の牧師によるメッセージは新約聖書の第二コリント4:7-18の部分題名は『土の器の中の宝』でした。これは、まさに私にとっても励まされた最初の箇所です。

私たちは、この宝を、土の器の中に入れているのです。それは、この計り知れない力が神のものであって、私たちから出たものでないことが明らかにされるためです。(第二コリント4:7)

この箇所にある宝はイエス・キリストを指し、土の器は使徒パウロ(つまり私たち人間)を指します。しかし、私たちは人間はもろい土の器に過ぎません。土の器は人生そのものです。人生は舞台であり、私たち一人ひとりは主役となっています。(人生の)舞台には当然穴が開いてしまいます。人生に避けられないことが一杯です。失敗・病気・事故・災害・失業・愛する人や親など失うこと。人が困難に遭うとどうするのか?三つのパターンがあります。

  1. (困難・苦しい状況に遭っている)自分自身がかわいそう。自分は哀れでみじめである。
  2. 自分自身が困難や苦しい状況に遭っているにも関わらず自分で隠してしまう。無かったことにする。
  3. 舞台(人生)の穴を通す。ピンチのなかでも気づくこと。

神様は最後の3番目を喜ばれます。例え困難・苦しい状況でも自分で気づき、希望が持てることは聖霊の働きからくるものです。同じ聖書の箇所には「この計り知れない力が神のもの」と記しています。「この計り知れない力が神のもの」を言い換えるなら、土の器で私たちを宝であるイエス・キリストによって常識では考えられない奇跡を起こすということになります。

聖霊様はパートナー

メッセージをして下さった先生はロシアを訪問していた元日本人宣教師です。2009年にロシアへ訪問された頃、もう一人の先生とご一緒だったのですが、その方からの印象に残った言葉は「聖霊様はパートナーである」とのことです。もう一人の先生は旧ソ連(冷戦時代)から宣教活動をされた古い方です。冷戦時代のある日、日本から船に乗って旧ソ連を渡った直後、KGB(ソ連国家保安委員会)に強制連行され、全身取り調べを受けられて最悪な状況でした。「もうこのままでは生きて日本へ帰ることはないだろう」と覚悟を決めたところ、奇跡が起こり、何とか無事に日本へ帰還することが出来たのです。

死んでいる人生はよみがえらせる

それは、主イエスをよみがえらせた方が、私たちをもイエスとともによみがえらせ、あなたがたといっしょに御前に立たせてくださることを知っているからです。(第二コリント4:14)

和歌山県には有名な自殺の名所があるそうです。ここで年間多くの人々が命を絶っています。名所の入り口には命の電話の看板を設置しました。命の連絡先は近くの教会です。ここで、悩み相談の件数が寄せられ、この中で、多くの方が人生をやり直そうと生きながらえています。このようにイエス・キリストを求める信仰は本当に大切であると実感します。イエス・キリストを求めることによって、死んでいる人生をよみがえらせます。また、聖霊によって新しくなります。

あとがき・メッセージを聞いた感想

『土の器の中の宝』というメッセージを聞いて感じたことや思ったこと。人生にどんな失敗があっても私は良いと思います。かえって試練があった方が、いままで罪深い自分自身が気づかなかったことを発見するチャンスがあるのだと。この時、私はイエス様からのこの御言葉を思い浮かべました。『狭い門からはいりなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこからはいって行く者が多いのです。(マタイ7:13)』信仰は狭い門から入らないと見出すことが出来ない。試練は恵み。もろい土の器にいる私たちには宝というイエス・キリスト(人生の希望の光)ともにいて、人知を遥かに超えた奇跡を起こすことが出来ることを忘れてはならないと心にメモです。

ブログを読んでくださりありがとうございました。
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