聖徒の交わりについて大切を学ぶ

所沢市内の自宅から近いとても良き教会へ転会してから今日で半年が経ちました。今の教会での良き先生方や兄弟姉妹の方々との身近な交わりと祈りの時間が多く増えるにつれ、信仰生活の励ましが与えられたこと、この世の様々な試練に中でもいくつか希望を持てるようになりました。

良き教会を見つけることと、聖徒の交わりは大切なこと

教会はどこへ行っても罪人の群れです。問題のない教会はありません。しかし、聖霊が働いていない教会(機能不完全な教会)は、自らの信仰にも害することが分かりました。悪魔の餌食となっている教会は沢山存在します。そういう教会は離れるべし。

今の教会へ転会した理由

ついこの間までは、元超保守派のルーテル教会(他の教派とは一切交流無し)へ6年間仕えていました。ルーテル派はプロテスタントの元祖であり、伝統があって教義もしっかりしています。しかし、同じルーテル派でも、細かく教派に分かれています。ここの超保守派は、他の教団・教派との交流拒否、自らの教派が一番正しいことを強調、証はイエス・キリストのみで個人の証は禁止、男尊女卑など。教義が正しいと言われている割には矛盾や疑問、問題点が沢山ありました。働きのある米国宣教師たち(現在は全員帰国)以外は日本人の良き牧師が少ないこと(人材不足でやる気のない者ばかり)、信仰の励ましと祈り合える仲間もいない(知識だけの信仰者が多く集まっている教会のため)、冷ややかな雰囲気、信徒の間の派閥、儀式的礼拝、魂に響かない教義的なダラダラしたメッセージ(特に初心者には難しすぎる)、教団としての組織の機能が働いていない、日本人牧師・信徒の自立が出来ない、お年寄り・障がい者・生活困窮者に対しても冷たい、そして特定の人に何度も挨拶しても無視されたこと。聖徒の交わりについてですが、残念ながらゆっくりお茶を出しながら交わる環境が全く整っていません。礼拝が終わった後は各ご奉仕でバタバタしているか、そのまま帰る方も少なくありません。

行いのない信仰は、死んでいるのです。(ヤコブ2:26)

6年間、何度もこの教団を離れたいことがありました。しかし、洗礼へ導いて下さった宣教師がいる間は忍耐しました。しかし、とうとう昨年の6月で米国へ招聘を受けた宣教師ご一家は帰国されました。この後、ますます教会の組織が乱れ、信徒の中で賢い者たちは既に他の各教団へ散り去って行きました。私自身も限界の頂点を超え、個人の信仰においても教団全体においても危機感が強まり、昨年の秋で超保守派ルーテル教会の除籍を決意しました。私の抱えている個人的な心の重荷と問題(狭心症を患っているダンナの問題、将来的生計の問題、実家の両親の問題など)は、「聖霊が働いていない教会」ではもう救われません。神様にすべてのことを申し上げ、長く祈り続けた結果、昨年の10月に新しい良き教会が見つかりました。

交わりは本当に大切💞

今では、同じ所沢住まいの近所にあるプロテスタント教会へ私一人が我が家の先駆けとしてほぼ毎週のように通っています。今の教会はアットホームで程よい自由さがあり、良き先生方にも恵まれ、聖書の教えも正しくてイエス様の弟子として自立に向けて実践的な訓練もあり、聖徒との交わりがあります。何か悩みや問題あっても親身になって下さるし、深く祈って下さいます。まだ、義理の両親の方は前のルーテル教会に在籍していますが、いずれも年内で除籍して私の教会へ転会する予定です。一方、長く教会へ離れているダンナは、訳があって(除籍や転籍してはそこの教会が潰れたため)教会籍がありません。本当は、(ダンナが)病気の試練など抱えているからこそ、ほんのわずかでも勇気を持って一度だけでも教会へ出席して欲しいと妻として願っています。今は無理に強制したりせず、神様の時を待ち続けます。ダンナの問題はいつも義理の両親と今の教会の先生方たちと一緒に祈り続けています。やはり、教会での聖徒の交わりは本当に大切だと実感しています。お互いに本音や悩みを語り合い、祈り合い、励まし合えるのですから、喜びを持って教会へ足を運ぶことが出来ます。また、自分にとってもこれから先への信仰も成長となれます。聖霊の働く教会は、どんな試練があっても乗り越えられるし、何かしら希望が持てるようになれます。教会選びと聖徒の交わりは本当に大切だと思うのです。

5月一週目の聖句(メモ)

イエスは彼に答えられた。「だれでもわたしを愛する人は、わたしのことばを守ります。そうすれば、わたしの父はその人を愛し、わたしたちはその人のところに来て、その人とともに住みます。」(ヨハネ14:23)

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