
所沢恵み教会の玄関にある生け花。某家元を持つ植物専門家のS兄より。
8月の夏の暑さは半端ではありません。8/7の地点、東北の秋田県で気温37℃と猛暑となったそうです。もうじき台風5号北上の影響もあり、各地ではフェーン現象が起きています。しかし、厳しい暑さを忘れる程、喜びと平安に満ち溢れた日曜日の主日礼拝及び交わりの時間が与えられました!
私自身をれ喜びへ導いたもの(忘備録)
あなたを連れ出した主
8月は、私たちの所属する教会の主任牧師たちは交代で夏季休暇を取っている間、 JECA 姉妹教会の中からご奉仕しに来られる先生方が代わりにお説教をしています。今回は、横浜にある教会から来られた若いY先生の素晴らしいメッセージ『題名:あなたを連れ出した主』を頂きました。
わたしは、この地をあなたの所有としてあなたに与えるために、カルデヤ人のウルからあなたを連れ出した主である。
創世記15:7
創世記14章から15章にかけて、アブラム(のちのアブラハム)の時代背景は戦乱に巻き込まていたそうです。そのため、アブラムは信仰者でいながら、10年間も数々の試練の苦しみがあり、自分のことで精一杯でした。激しい戦乱の中で生き延びること、甥にあたるロトの不信仰問題、正妻サライ(のちのサラ)が不妊であることと試練が相次いでいたからです。
アブラム自身の長い苦しみが限界の頂点に達した瞬間、創世記15章の始めに記されている主の御声を頂きました。
「アブラムよ。恐れるな。わたしはあなたの盾である。あなたの受ける報いは非常に大きい。」
創世記15:1
ここで、アブラムは主に対して「何故、苦しみばかりをお与えになるのですか?」と、次の2節で反論してしまいます。
クリスチャンである私たちも、人生の間はずっと信仰の戦いが続きます。この世の様々な試練(結婚・家庭・人間関係・仕事・病気やケガ・経済など)があっても「主を恐れるな」とおっしゃっているのです。しかし、それを忘れてしまったり、もしくは「神様、どうしてこんなことばかり続くのですか?」と反論したり、思い煩うこともあるでしょう。
しかし、ここで大切なことに気づくべしなのです。
5節の「さあ、天を見上げなさい。星を数えることができるなら、それを数えなさい。」と、アブラムを夜の星空一杯の外へ連れ出して下さったところです。「天を見上げなさい」は、言い換えると「天を向けなさい」イコール「神に向けなさい」となるところです。
信じるは「アーメン(誠に)」だけではなく、”信頼”することです。私たちが例え、何も出来なくても、弱くても、年を取っていても、主がすべてを成し遂げて下さることを信じましょう。苦しみは苦しみで終わることがありません。ひどい暗黒の恐怖へ襲われていたアブラムのように勝手に自分で制限してはいけません。今回のメッセージのポイントは「神は外へ連れ出して下さる」こと、「天(神)を見上げる」ことについて忘れないようにしたいと思います。
主イエス様の体である教会
礼拝後、毎月の主日礼拝第1週目は各小グループによる信仰の訓練の交わり時間があります。現状、いつも教会に残る同じ人たちで決まってしまいますが、私自身は信仰の成長を求めて必ず参加させて頂いております。聖書と指定された訓練の教科書をグループの間で順番に読み合い、聖書を読んだ箇所で何処が個人個人にとって思ったか(感じたか)の確認、そして、この日に学んだ重要ポイントを話し合います。最後に、一人一人の抱えている悩みや問題を順番に答えてから祈り合って終了します。
本日、学んだことは『主イエス様の体なる教会』についてでした。聖書では第1コリント12章12〜20節までの箇所です。
ですから、ちょうど、からだが一つでも、それに多くの部分があり、からだの部分はたとい多くあっても、その全部が一つのからだであるように、キリストもそれと同様です。
第一コリント12:12
12節からいきなり、からだが一つでも、それには多くの部分があると示しています。12章のうち私自身が一番気になった箇所が次の13節でした。
なぜなら、私たちはみな、ユダヤ人もギリシア人も奴隷も自由人も、一つのからだとなるように、一つの御霊によってバプテスマを受け、そしてすべての者が一つの御霊を飲む者とされたからです。
第一コリント12:13
私自身はグループの間で次のように答えました。
今回の礼拝で感じたこと・思ったこと
8/7の主日礼拝は、私にとって夏の猛暑を忘れさせるくらいの喜びの日でした。ご奉仕に来られたY先生のメッセージや礼拝後のグループワークは私個人にとっても魂へ響くものばかりです。やはり、クリスチャンの信仰生活を維持するには、出来るだけ多く教会へ足を運び、先生による聖書のメッセージをよく聞くこと、兄弟姉妹との交わりによって信仰の励ましとなります。
ブログを見て下りありがとうございました🌼
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