スポルジョンの本

C・Hスポルジョン(チャールズ・ハッドン・スポルジョン(Charles Haddon Spurgeon)の朝ごとの祈りの本は、バブテズマを受けてから毎年繰り返して読み続けています。もうじき、4月で3年目になります。中身は一日ずつ違う御言葉とメッセージが書かれています。最初は難しかった聖書と同じように、このスポルジョンの本も読みはじめの頃は本当に意味が分かりませんでした。聖書では難しい漢字には必ずルビがありますが、スポルジョンの本ではルビなしの難しい漢字があるので辞書で読みを調べないと苦労します。

スポルジョンの本はとても厳しい言葉が多いのですが、同じ本を繰り返して行くうちに主はどのようなお方か、主の偉大なお力や深い愛についてのメッセージがだんだん分かるようになりました。3年前、おととし、昨年、そして現在読むのでは理解が大きく異なります。それには、毎日聖書を読むことと、家庭集会(聖書の勉強会)に出席することによって聖霊が働いてはじめて御言葉の深い意味が分かってきたのだと思います。

しかし、あくまでも理解しはじめたばかりなので、私は信仰生活においてまだまだ油断は出来ないと認識しています。聖書は一生学ぶものですし、この先も御言葉と大切なメッセージを忘れて気付きにくい罪を犯すことも何度かあるかもしれません。でも、そうならないようにしたいです。

1/31メッセージのみ引用

「私の神は私の願いを聞いて下さる。(ミカ書7章7節)」

友は裏切るかもしれない。しかし主は、ご自分につく者に背を向けられない。それどころか、私たちの願いをことごとく聞かれる。預言者ミカは「あなたのふところに寝る者にも、あなたの口の戸を守れ。人の敵はその家の者である」(同五、六節、協会訳)と言った。これはなんと恐ろしい現実であろうか。しかし、このような事態が生じても、私たちの最高の友であるお方は変わることがなく、真実を尽くしてくださる。それゆえ私たちは、心の嘆きを包み隠さずに申し上げることができる。

主を見上げ、人と争わないことが私たちの知恵である。たとい親兄弟が私たちの願いごとを無視しても、私たちの救いである神を待ち望もうではないか。神は必ず聞いてくださるのだから。

人が不親切になり、私たちをしいたげるにつれて、神はいっそう私たちの願いを聞かれる。それゆえ私たちには「私の敵。私のことで喜ぶな。」(同八節)と呼ぶ十分な根拠があるのだ。

神は生ける神であり、愛の神である。それゆえ、私たちの願いを聞いてくださる。また神は契約の神であるので、どうしても私たちの願いを聞かざるを得ない。神を「わが神よ」と呼べるなら、確信をもって「わが神はわたしの願いを聞かれる」ということができる。

心の傷ついた人よ。あなたの悲しみを主なる神に申し上げよ。私はひざずき、「私の神は私の願いを聞いてくださる」と言おう。

今日1/31の御言葉とメッセージ「神は聞かれる」は当たり前のように見えて、新たにもう一度読んだ時はとても新鮮な気持ちになりました。また、一番信頼出来るのはであり、最高の友であるお方とは主イエス・キリストのみであることを大きく確信しました。

実はお恥ずかしいことですが、私にはこの世の友は非常に少ないです。でも、この世の友が少なくて幸いに思います。この世の友よりも信仰の友が必要だからです。今年の私の目標は信仰の友を探そうと、神のお力と知恵を頂いて自ら行動していきたいです。

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