クリスマスのつらい思い出

夫と出会う前は本当にずっと寂しいクリスマスだった。

私だけではない、もちろん世の中にも大勢寂しいクリスマスを過ごしている人達もいる。

もしくは、中にはずっとクリスマスのない人も少なくはないと思う。

さらに、クリスマスの過ごし方は人それぞれである。

私はクリスマスとは言えば…大勢で楽しくパーティするか、カップルで過ごすイメージが強かった。

でも、まだ独身の私には彼氏もいないし、親しい友人もいない、親族と大勢で集まる機会も全くなし…。

だったら家族で過ごしてもいいじゃないの?

家族のひとときもとても良いことだよ~。

その買うを、もっとハッピーに。|ハピタス

もちろん、年毎によっては家族と家でクリスマスを簡単に祝ったことがあったけど、後は全くクリスマスをやらない時も結構あった。

クリスマスを全くやらない時とは、少女時代の時が多かったかな…。

特に、あれは忘れもしない一番つらい思い出があった。

あれは、小学校の高学年だったか記憶がぼんやりなんだけれど…。

ある年のクリスマスは私の母は夜の仕事で留守、自宅にいた父だけだった。

この日の父は、前夜より酩酊の二日酔いが残っていて少々不機嫌な様子だった。

前夜、父と一緒に飲んだ知り合い達の一人から祝いのクリスマスケーキを貰い、お土産として自宅へ持ち帰り、即冷蔵庫へ入れる。

確か、父の帰宅は25日の何と夕方近くだった。

二日酔いの父は「お前、冷蔵庫に貰ったクリスマスケーキがあるから(勝手に)食べていいよ。」

しかし私は「パパ、今日クリスマスはやらないの?」と言うと、

父は「(日本は)仏教ですから…。」と(クリスマスは)関係ないような冷めた返事をし、自分の猫飯(二日酔いのために味噌汁ぶっかけご飯)を持って自分の寝る部屋へ去っていった。

父は部屋でこれから眠り、母は仕事…、私は一人寂しく冷蔵庫からクリスマスデコレーションケーキを学習机に持ってきてローソクをたてて灯をつけた。

そして、両手を組んで涙を流しながらクリスマスを静かに祝ったのである。

両手組んでいた行為は、今思うと無意識に主なる神様を求めていたかもしれない。

時は流れて、20代の頃はクリスマス前に2度も失恋があった。

23歳と24歳でいずれも当時勤務していた職場で出会った。

23歳で出会った人は私より二つ年下で身長183cmでスマートな中田英寿似だった。

その後、24歳で出会った人は私より三つ年上でキムタク似で筋肉質で引き締まった体型だった。

二人ともそれぞれカッコよく、男らしい印象だった。

でも、それぞれお互いにいろいろな理由があって半年未満で恋愛が終わった。

相手から一方的に「友達でいよう。」

結局、友達と言う言葉は別れようという意味のようなものだ。

いづれの相手も、二人でクリスマスを一度も過ごすことはなかった。

独身女の寂しいクリスマス…。

ああ~相手に一歩取られたって感じだ…。

この世の男性との付き合い多くは遊び目的だ。

この世の恋愛はつかのまで空しい…。

今は、当時の私は本当に世間知らずで愚かだったと気づく。

もっと早く神様に出会ったらこれらの失敗は逃れたのに…。

でも、そうなると今の夫に出会えなかったかも。

すべてには神様の時があるから今はこれで良かったと思う。

今は真のクリスマスを楽しむことが出来るようになった。

これからも教会のクリスマス礼拝と兄弟姉妹との交わりもあるし、嫁いだ家はクリスチャンホームだから夫と新しい霊的な両親と和やかなクリスマスの日を過ごすことになっている。

↓と、いうことで、では(^^;)

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