この頃、ミス・ユニバースで日本女性による世界の賞の獲得が増えてきました。私が一番印象に残るのは2006年準優勝の知花くららさんです。彼女が世界で認められた時は本当に凄い、羨ましいと思いました。また、私個人として、くららさんは全体的に好印象で好きです。今どきの若い日本女性たちにないものを感じ、大人のかわいらしさと笑顔、知性、品性を感じるからです。スタイルもファッションもナチュラルで素敵に見えます。
しかし、翌年2007年優秀の森理世さんについては、私も夫も「えっ?!」と言う感じだったのです。特に夫は「この女のどこが良かったのか?オレには理解できない。」とのこと・・・。彼女は、確かに特別美人ではないことを最初の頃の私は感じていました。さらに、世間では今でもネット上で彼女に対して多くの批判が残っています。もちろん、一般人男女問わず何かしたら彼女に対してのねたみもあることでしょう。例えば、彼女のインタビューに対しての態度が悪いなど。しかし、彼女は高校時代に単身で海外生活を送り自己主張というものを身についたわけですから、周囲の人達からはそのように感じるのだと思います。(それは理世さんだけとは限らず他の帰国子女も同じ。)私は理世さんのことについてはあまり感心が薄い方ですが、決して悪く思っていません。彼女はミス・ユニバースに出場したメイクより、普段のナチュラルメイクの方が美しいし、子供の頃から習っていたバレエやダンスによって鍛えらたボディスタイルも良いこと、そして、強い精神力は評価します。
理想の日本女性とは、日本国内での基準と世界の基準では大きく異なります。ミス・ユニバースで選ばれた日本女性とは、同じ日本国内からみれば大きく期待がはずれてしまうものでしょうね。理想の日本女性といえば女優さんとか、ハーフっぽい女性とか、アユみたいなパッチリ目が理想など決めてしまいがちですが、世界からみればまるで逆です。欧米人からからみた本当のアジアンビューティとは、例えばチャイニーズ系アメリカ人のルーシー・リュウのようなイメージでしょうか。
それにしても、人間とは表面で決め付けてしまうことが多いものです。ミス・ユニバースのように日本の視点と世界の視点というものがありますが、世間一般でも沢山あります。悪い意味では、人に対しての誤った判断や基準なども多くあり、大きなトラブルの原因になることがあります。そこで、聖書を学んでいる私は、人の目と神様の目について思い浮かぶのです。旧約時代にサムエルという預言者が、イスラエルの王選びをしていました。その頃、イスラエルには既に初代の王サウルがいたものの、彼は世界一美しい青年ではありましたが、王として全く使いものになれませんでした。サウルの容姿の良さだけで選んでしまったサムエル自身はかなり悔やんでいたのです。その時、神様のお導きによりベツレヘムにいるエッサイという人のところへ行きました。エッサイには多くの子供たちおり、サムエルは一番背の高くカッコイイ長男から選ぼうとしましたが、神様は答えてくれません。では、次男は?・・・・。三男・・・・。四男・・・。五男・・・。六男・・・。七男・・・。ここまで退けられて、困ったサムエルは、エッサイに「あなたの子供たちはこれで全部ですか?」聞くと、エッサイは「まだ末の子が残っています。あれは、今羊の番をしています。」と答えると、サムエルはその末の子を連れて来させました。そこで、神様は「その子だ。」とお決めになられました。その子はとても血色の良い顔で、目も美しく、姿も立派だったのです。その子は後の英雄ダビデ王でした。
しかし主はサムエルに仰せられた。「彼の容貌や背の高さを見てはならない。わたしは、彼を退けている。人は見るようには見えないからだ。人はうわべを見るが、主は心を見る。」旧約Ⅰサムエル16:7
この御言葉の通り、神様は人の表面を見るのではなく、中身をしっかり見るのです。でも、私達人間は表面をみて失敗したことが何度もありますよね。例えば、ある人は結婚相手のルックスや高学歴や地位、財産などで選んだり、買い物は少しでも安い値段を選んだり、職探しは人間関係が良いが給料安い会社より、高い給料なら何の手段も問わない会社を選んだりなどして後から大きな失敗がありがちです。つまり、人は結局目先のものひかれしまう部分が多いのです。それこそ、愚かな選択になりかねません。やはり、人間同士の価値や基準はそれぞれですし、どれが正しいかはみなバラツキがあります。特にミス・ユニバースは良い例ではないかと思います。
ところで、独身でノンクリスチャンだった頃の私は外面の美ばかり追っていました。洋服もそうですが、とにかく化粧品やコスメ、人生相談に占いや風水でお金にかけ過ぎて本当の自分の姿というものを気づかなかったのです。それは、当時は彼氏も語り合える友もおらず、周囲の空気も全く読めなかったし、周囲が感じていたことにも気づきませんでした。だから、自分努力もせず、全てのチャンスの逃したということになってしまいました。もう少し若いうち(20代のうち)に聖書に出合って気づけば良かったくらいでした。そうすれば、自身のことだけではなく、周囲の人の気持ちも考えてあげられ、人間関係もすべて上手くいっていたかもしれません。
しかし、すべてにおいてのスタートは今からでも遅くないと思います。ですから、これからは聖書と信仰によってもっと賢い女性に変わっていきたい決心です。やはり、信仰がないとあらゆるものの視点や視野が広がりませんから。
最後に、昨日の世界ニュースより、英国物理学者(車椅子の物理学者)スティーブン・ホーキング氏の「天国はおとぎ話に過ぎない」という発言は世界中波紋が広がっています。キリスト教関連にとっての大きな問題発言でありますが、他の宗教や仏教国の日本でも大きく感心を示しています。私自身彼に対して思えること一つあります。スティーブン氏の抱えている病(筋萎縮性側索硬化症)は本来ならば発症してから5年程度で死に至る病であるのに途中で進行が急に弱まりつつ、こうして69歳までご健在でいられるのは、実は神様の大きな愛の御恵みと信仰による救いのチャンスによるものだと思うのです。ですから、スティーブン氏がご健在の間に、私達の目には見えないけど生ける神様の存在に気づいて欲しいと昨日は彼のために祈りました。