信仰による賜物

私は受洗式・堅信式を受けて1年になりましたが、まだまだ信仰が浅いのと、心が成長していな部分が残っています。とくに、おいたちから独身時代のトラウマでアダルトチルドレンに近く、人見知りや人づきあいが面倒、子供嫌いな反面、自分はもっと多くの人に愛されたい思い、自分一人で何とかやりたい思いが時々残ります。それが、思い通りにならないとイライラしたり、人に当たってしまうこともあります。これらが私の表情に表れやすいので、今の夫は「(そのゆがんだ性格)顔が老けて見える。ブスに見える。」と時々言われるのですが、逆に私が好きなことに夢中になったり、リラックスしている時は「すごくかわいい。美しい。」と言ってくれます。そう、私は本当に好きなことや心が通じ合える人達とともに物事行う時はすごく心が落ち着くのです。例えば、物を作ったり、PCでブログを書いたり、サイトを作ってみたり、イラストを描いたり、さらに、教会以外で、夫の従姉宅で聖書勉強会をやっているのですが(今は従姉の事情より来年3月まで休止中)、宣教師と若手兄弟姉妹中心に数名が集まって聖書を学び、その後は各持ち寄りお食事をしながらじっくり気軽に信仰についていろいろと語り合えたりして楽しいですね。それが励みになって良い刺激になります。教会では、なかなか語り合える機会が少ないのでそういった個人宅の家庭集会で落ち着きます。この家庭集会そのものも伝道活動の一つですね。今、我が家も毎月1回は家庭集会をしています。どちらの集会にせよ、主の祝福と教会役員の義理両親のおかげであります。もし、私達夫婦だけでは何にも出来ませんでした。まず、夫は洗礼受けていても信仰は全く弱いし、私もまだ新米クリスチャンだから。でも、毎日、私は夫の信仰のため、私自身の信仰と主のためにどうようにしていけばよいのか・・・祈っています。

どの教会も同じですが、私の通う教会では先輩兄弟姉妹の多くは熱心に奉仕・伝道活動をしています。彼らのそれぞれの賜物は見事に素晴らしいです。音楽や資料・カード作り、看板作り、教会の補修作業、いけばな、語学、日曜学校教師、料理・お菓子作りなど皆さんはすごいです。特に婦人にはパワーがあります。私は、今の自分にはいったい何ができるのだろうか?と思い込んでいるところであり、まだまだ教会などに用いられるには程遠く感じています。また、私はあまり大勢の人達との交わりはハッキリ言って苦手です。特に、初めての人やそれほど親しくない方達とは気軽に話すことも苦手です。それでは、本当に伝道が出来るはずはありません。しかし、一つの良い方法に出会うことが出来ました。それは、聖歌隊です。私は少女時代にピアノなど習ったことが無くて音楽にはそれほど興味は無かったのですが、賛美歌は格別です。聖歌隊に入ってからは、周りのメンバー達の交わりが深まりました。それと、クリスマス礼拝などの行事で賛美歌を歌うことも大きな伝道にもなるんですね。あと、ハンドベルクワイヤーもあります。今の私に出来るのは、この聖歌隊と行事の教会の掃除や小さな作業を手伝えることくらいです。それで十分なのかな?でも、教会奉仕稼動や各伝道活動についてはいつか用いられ時が来るから、まだまだ焦ってはいけないとよく義母に教えられました。

とにかく主よりも、自分の力で求めてはいけないことです。自分で無理すると失敗するからですね。私も時々そのことでいつも焦りの気持ちがあるのです。もう、この世的から生まれ変わった私は、やはり自分がやってみたい事とやるべき使命を考えています。それには、まずは私自身に強い信仰と心の成長がなければ何も始まらないと思うのです。今は、信仰が薄く教会から離れている夫を祈り、導く使命があります。主を第一に、次に夫が大事です。主に仕えるように夫にも仕えなさいとはっきりと聖書に書かれていますが、まさにその通りです。彼が信仰が弱くても、私は愛しています。愛しているから、夫のために祈ることが出来るのです。つまり、信仰という賜物ですね。信仰があれば、教会のことや伝道、それから社会や地域、職場など全て主に祈れることは素晴らしい事だと思います。

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