数年前にこの世を去った、女性演歌歌手の島倉千代子さんが歌っていた「人生いろいろ」がありました。生きている間は楽しいことばかりではなく、辛いこともあります。むしろ、どちらかというと辛いことの方が多いと思います。しかし、一人ひとりの苦しみはそれぞれ違うけれど、それをどう向き合っていくかが本当の幸せを見つけることが出来ます。
辛いことから幸せを見出す
いきなりマイナスなお話しとなりますが、すぐに悲観しないで下さい。人生の全体からみれば「辛い」、「苦しい」などの方が多いけれど、その中であっても気付かないうちに「嬉しい」、「楽しい」ことも必ずあると思います。
「辛い」と「幸せ」の奥深い関係
漢字の「辛い」と「幸せ」はよく似ています。他のブログやサイト、質問コーナーでも「辛い」を一本足せば「幸せ」になるという題名・フレーズが沢山あります。あるいは、面白いことに「辛い」をそのままひっくり返せば「幸せ」になるのです。
ここで日本の古いことわざと重ねると、
「災いを転じて福となす」
身にふりかかった災難を、うまいこと活用して、そのまま自分に役立つものとして利用するさま。あるいは、厄介ごとが一転して幸福の種に転じるさま。「災いを転じて福となす」とも言う。
weblio辞書:実用日本語表現辞典
「辛い」を別の言い方で「災い」、「幸せ」を別の言い方で「福」となるでしょう。ある人は、こう言っています。
辛い時、一歩踏み出すと幸せにれる
これはまさに「辛い」に一本足して「幸せ」となるではありませんか。
聖書での「辛い」と「幸せ」とは?
さらに、書き換えてみましょう。「辛い」は「患難(かんなん)」、「幸せ」は「希望」です。まず、新約聖書のローマ人5章3-4節にこう記しているのです。
・・・それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。(ローマ人5:3-4)
「患難が忍耐・・・」と聞くと余計辛く感じる人は少なくありません。しかしながら、与えらた私たちの人生には必ず避けては通れない「辛さ」や「苦しみ」あるのです。だから、これをどう向き合うかによって新しい方向へ変わると私は確信しています。向き合うとはつまり、ある程度の忍耐は必要であり、何か一つでも希望を見つけることがいいと思います。
それは、最大の希望を見つける近道は神様を第一に求めることです。ただし、お金などの物質的なものとは違い、心の満たされた平安こそが本当の「幸せ」ではないかと。だから、患難もしくは試練があるということは、「一人の人間としての心を成長させる訓練だ」と発想へ転換すれば、「辛い」から一本足して「幸せ」、「辛い」からひっくり返して「幸せ」とぴったりと一致してしまうのです。つまり、神様を求めて、聖書を学んでいくうちに「幸せ」とは、神様の子である救い主イエス・キリストを通して”心の成長”や”練られた品性”であると気付くのです。
最後に、辛いことはだだ単に一を足せば幸せになります。神様に助けを頂きながら、「辛い」を「幸せ」にひっくり返せる習慣を少しづつ身に付けていきましょう。
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